患者の家族として        松尾 祐作

 

 妻が胃の手術をして6年半ほどになる。ガンの宣告を受けた時は、本人もさることながら、大変なショックであった。身内としてこの状況から逃げ出すわけにはいかない以上、覚悟を決めてつき合うしかないと決心したのを覚えている。幸いなことは、本人が覚悟を決め、病気に立ち向かう姿勢に早くなれたことであった。
 それまで、この病気については人ごとのように思っていたが、いざ身内がガンになると、とても人ごとではなくなり、明日は我が身かと感じざるを得なくなった。以来、妻の症状とつき合いつつ、多くのことを経験し、学ぶ事ができた。また、妻を通じてたくさんの人々と出会うことができたのも、得難い収穫であった。
 妻が、患者の会に参加して、いろいろなことを学び、患者同士が交流しながらお互いに支え合う姿を見て、その重要性を認識できたのも収穫であった。また、妻の取り組みが新聞等で取り上げられたことで、少なからぬ患者の方々から反応をいただいた。そこで感じたことは、世間には一人で病気の悩みや苦悩を抱えて、悶々としている方々が多いという事であった。中には、外出する気力さえ無い方もおられたようである。
 身内として、私が心がけてきたことは、妻が病気にこだわらず、自分の意志で人生を前向きに歩んでいくことを支える事であった。「病は気から」といいますが、本人の気の持ちようが病気や健康に大きく影響する事は、否定できないように思われる。幸い、妻は性格的に万事に前向きのようである。そのことが病後の健康にプラスしていると思われる。
 妻の病気を通じて、新たな体験ができた事は、不幸中の幸いだった。分野の違う多くの方々との出会いは、人生の大きな財産であることを改めて認識した次第である。支えてくださる多くの方々とともに、一緒に歩み、前向きに進みたいものである。

あの日から……          井上まき枝

 

 2年前、春がもうそこまで近づいて来ている2月の中旬、軽い気持ちでの受診の結果、突然「がん」の宣言を受けた貴方。私たちは何か強い電流が流れる様なショックをうけましたネ。事実を事実として受け入れられない貴方の姿をみていて、どの様に支えていいものやら、私も自問自答して辛い思いをひきづっておりました。
 3月に入り貴方の気持ちが少し落ち着き、第一のハードルを越えた頃、きれいな桜の花が咲き始めました。仕事が休みの時に思い切って貴方を誘って2人でお花見にいきましたネ。その帰り田んぼのあぜ道で、つくしを摘みました。たくさんのつくしを摘みながら、ふと「来年は2人で桜の花が見られるのだろうか?」なんて思っていると、急に涙が溢れだし、貴方のそばでつくしを摘むことが出来ず「向こうの方にもあると思うから」と言って反対側の土手に行き1人で泣きました。気が付いていないと思うけど……。
 その後5月に無事手術が済み、今日まで頑張って生きてきました。よかったネ、いろいろあったけど……あるけど、私が支えるから怒りの感情をあまり使わずに、これからはスローに生きていきましょう。 頑張りすぎない…あきらめない。

患者の家族として        安倍 紘子 

 
 「4月に青葉の会の総会に『いのちの落語』という講演会がある。とにかく凄い話だから必ず来て!航空券とってあるから」と有無を言わせない誘いで、仕事をさておいて参加しました。そこで感じたこと、樋口先生の素晴らしさと青葉の会が総会や講演会に向け、一人一人が自分のできる範囲で分担を持ち、ひとつの目標に向かってまとまる迫力の凄さでした。
 前日、先生が空港から会場に直行し、疲れをみじんにも出さず100冊の本1冊1冊にサインをしている姿に感動、それも抗がん剤の後遺症で手足の感覚がないとのこと。「熱いお茶の入った湯のみを持って、ヤケドをすることもあるんですよ」に驚くと同時に本当に頭が下がりました。
 『笑いは最高の抗がん剤』高座の病院日記で、久し振りに人目をはばからず、笑いの中に引き込まれました。思い切り笑ってどんなに大勢の人達が、希望と勇気をもらっていることか。又最後に会場の人達との質疑応答で、一番後ろの高齢の男性が「手術をしていろいろ悩んでいたけれど、先生から生きる力をもらいました。とっても楽になりました」という話に感激すると同時に、素晴らしい出会いが忘れられません。 
 後になりましたが、私は千葉県に住んでいる青葉の会代表の姉の安倍と申します。9年前、妹の突然のがん(スキルス性進行型胃がん)の宣告を受け一人途方に暮れているとき、福島の「ひいらぎの会」に出会い大きな支えから、2年前の「青葉の会」立ち上げと遠い千葉から応援してきました。その後、会員として行事に参加するたび、前向きに生きる仲間との「強い絆(きずな)」を痛感しています。青葉の会東京連絡所ではないですが、今後もいろいろな形で皆様との関わりができたらと思っています。
 今は9月18日東京深川資料館での第5回「いのちに感謝の独演会」で樋口強氏との再会が一番の楽しみです。(千葉市緑区)平成17年9月 7号

思いの力を信じて          岡 真由美


 今回、安保先生の講演会に参加させていただきありがとうございました。
 昨年11月、主人の父の肺がんが再発してから、体に良いことあれこれ取り組む日々をすごしておりましたが、「痛みとの共生」の日々に気持ちが弱気になりかけていました。そんなときに、安保先生のお話を家族皆で直接聞けたことで、安心と勇気をいただいた気がします。そのおかげで、帰って2日ほどは父も痛み止めの薬を飲まないでも快調で、まさに「人間は気持ちで生きている」ということを実感しました。
 再発がわかったとき、父の望みは「今までのように普通に生活をすること」でした。そのためには、時間的・肉体的・精神的な負担が強いられるような治療はやめようと思いました。そして、病院の医師と良好な関係を保ちつつ離れられるようにと、何度も話し合い、「何が起きようとも一切の責任は、私たち家族が持つ」という覚悟を伝えたときには、気持ちよく合意していただけました。
「責任は持つ」とはいったものの、そのときにまったく不安がなかったといえばウソになります。でも、抗癌剤の限界や問題を自分なりに確かめてきたこと、普通の生活をしたいという父の思い、そして、安保先生が良くいわれている「迷いがあるならやめなさい」の言葉を噛みしめたうえで、家族全員が「自己治癒力・思いの力を信じきる」と心に決め、一日一日を過ごしております。
 100年程前は、自宅の布団の上で家族に見守られながら最後を迎えていたのです。それなのに何故今はその「自然な最後」を望むことに大変な抵抗があるのかと不思議な気さえしています。そして、今回の父の病気に関わりながら多くの人と縁することで、病気に対する考え方がすいぶんとかわりました。
 これまでは、病気の原因はストレスや、職場過労、またはウイルスなどの菌であり、ほとんどは外からきて、長年積み重なって、そしてそれが許容範囲を超えたときに病気になるのではないか、と思っていましたが、本当の発病のきっかけは、ストレスをどう受けとったか、という心の問題であり、すべては自分が内的に創り上げているのかも?というふうに考えるようになりました。これからの生き方を見直す、たくさんのすばらしい出会いをいただいたことに感謝します。(大川市在住・通信読者) 

姉と過した2年間         江藤 利恵 

 姉のがんがわかったのは、2年前の夏でした。それまでの姉といえば、病気ひとつしない健康体で、毎日忙し仕事していました。ですので、37歳でがんを患ったことは、姉にも私たち家族にも、正に晴天の霹靂でした。
 その日から姉が亡くなるまでの2年間、特に最期の9ヵ月間は私も病室に泊まり込み、共にがんを乗り越えようと前向きに生きてきました。
 そんな姉との、充実した日々を振り返り、姉の残した言葉を綴っていきたいと思います。

 がんがわかり、無事に手術を終えて、経過観察となってからは、今までの慌しかった仕事中心の生活を見直し、一日一日を大切に、丁寧に生きていこうと思うようになりました。そうすると、今まで当り前と思っていた事の一つ一つ、朝、目覚めて太陽が眩しいこと、美味しくご飯を食べられること、気持ちよく排便できること、お風呂に入り、ぐっすり眠れること、友達とお喋りできること、美しいものを美しいと感じられることなどが、かけがえのない、ありがたいことなのだとわかりました。

 

 『若くして病気になってしまったけれど、もしこの病気にならず、以前のままの私だったら、このようなことに気付けないまま、過しただろうと思います。それはとっても寂しいことだと思います。だから、病気は神様が私にくださった、プレゼントなのだと今は思っています。』とよく言っていました。
 このように考えるようになり、具体的に何をしたのかと申しますと、人とのご縁に感謝し、生きていることに感謝し、自分の体の声に耳を傾け、いたわるように心掛けました。早寝・早起きをし、食事は体に優しい玄米菜食へと変更し、腹式呼吸でたくさんの酸素を取り込みながら散歩し、自然の草花に触れ、風を感じ、疲れた心と体を癒すビワ温灸などの自然療法も取り入れ、気持ち良い!幸せ!と感じられる、心地よい時間を過すようにしました。

 そうすると、今までになかったような素敵な御縁や、出来事が自然と舞い込み、人とのつながりに感謝するばかりでした。そのような時に、青葉の会松尾さんとの出会いにも恵まれ「元気をだして、一緒に頑張りましょう。一人じゃないからね!」とハツラツとした笑顔で言って頂いたときの嬉しさ、心強さは忘れられない…といつも私に教えてくれました。


 若くしてがんを患った姉は、周りに同病の知人もおらず心細い思いをしていましたので、松尾さんからの励ましは何よりの支えだったのです。
 その後、残念なことにがんの転移が、手術後8ヵ月でわかり、入院生活を余儀なくされました。私達は、がん患者学研究所の川竹さんや安保先生、あなたと健康社の東城先生などの、免疫力をあげること、自然療法や食事・運動療法などの体に優しく心地よい療法を続けてきましたので、医師より抗がん剤をすすめられたときとても迷いました。迷いに迷った結果、今までの生活と自然療法、心の持ち方で抗がん剤に負けない心と体がある。だから自然療法を続けながら、抗がん剤も受けてみようと決めました。

 入院していても、今までの生活が続けられるように、家族で協力しあい、玄米菜食を3食届け、ビワ温灸も煙のでないユーフォリアを使用、そばパスタや里芋パスタ、しょうが湿布など毎日続けました。その甲斐あり、抗がん剤をしても嘔吐・下痢・便秘などの症状もなく、白血球や血小板の減少もゆるやかで、主治医からは「何か特別な薬でも飲んでいるの?」と不思議がられるほどでした。
 このように入院・抗がん剤の日々も前向きにとらえ、家族友人で励ましあい乗り越えてきました。
初めのうちには効果も出ていた抗がん剤でしたが、がんの勢いも強く、なかなか効果のでない日々が続くようになりました。そのようなとき、私は「こんなにお姉ちゃん頑張りよるのに…、頑張っても、我慢しても、全然効かんやない!悔しい、悲しい…」と泣いてしまいました。
 そのとき姉は「何ば言いよるとね、大丈夫よ、今まで信じて頑張ってきたんだから、私は後悔してないし、みんなに感謝しているよ。みんながこれだけしてくれたから、今生きていられるんよ、そうじゃなかったら、とうの昔に死んでしまってるよ。だから、私は今、生きていられることに感謝しとるし、一日一日を大切に生きるだけやん。それが幸せな未来に続いていくと思ってるから」と逆に励まされました。
 姉は大きな病を患い、苦しみましたが、強い心と深い優しさ思いやりの心という、とても大きな尊いものを得ていました。姉は、苦しみ、悲しみが大きかった分、人として素晴しい成長を遂げたのではないかと思います。

 亡くなってしまったことは辛く悲しいものですが、姉と過したこの2年間本当に幸せでした。このような年になり、これまで姉妹や家族が一緒にいられることはなかっただろうと思います。今、私は毎日写真の中の姉に手を合わせ「ありがとう、大好きだよ!」と声をかけています。
 がんという病気、患者本人も辛いのですが、家族も第2の患者というように、本当に辛い立場にたたされます。しかし、今の医療現場では、家族にまで思いを寄せる余裕はないようです。孤立している家族も多いのではと思いますので、少しでも青葉の会に出会え、ささえ合えると良いなと思います。私もこの経験を看護師の仕事に生かしていきたいと思います。(福岡市南区在住)

平成20年9月27日 No.22

本人が望む範囲、許す範囲     藤原 早苗


 私は今年3月初めに主人を肺がんで亡くしました。
「免疫療法」という言葉は知っていましたが、安保先生のお話は今回初めて、お聞きしました。安保先生のお話の内容はもちろんですが、その後の質疑応答の時間がとても有意義でした。
 「ストレスを貯めやすい性格は、すぐには変えることはできないけれど、マッサージをしたり、お風呂に入らせたり、爪もみ療法をしてあげたりなど、状況に応じて、できる範囲で、やってあげられることがあったのかな~」ということです。 
 私の主人は、「どうせ××しても一緒」「どうせ、薬飲んでも効かない」など否定的な言葉をいって、医師や看護師の方にあたっていました。怒りっぽい性格、疑り深い性格、否定的な性格は、精神衛生上よくないし、ストレスも貯めやすいとは健康な頃から本人にも言っていましたが、病気になったからといって急には変えられないし、変わりません。私は、「そんなことは、ないんじゃない?○○だったのかもしれないよ?」と違う受け取り方を提案するだけで精一杯でした。
 リンパ節への転移があり腫れていたので、マッサージというよりは、ゆっくりとさすってあげるだけでした。お風呂に入る気力もない様子だからと、無理に薦めることもなく、足浴も嫌がるのでたった1回、させてくれただけでした。
 本人の生き方・考え方を無理やり変えさせることはできないからと、本人が望む範囲、許す範囲だけでの介助しかできません。今、思えば爪もみ療法は許容範囲だったと思いますが、その頃は、「爪もみ療法」「安保先生」という名前も知りませんでした。病気になりやすい思考パターンの人は、××してあげようか?といっても、「そんなのいいよ・・・」って、消極的なのか、遠慮なのか、受け入れないような気がします。だから、あなた(患者本人)のためではなく、私(家族)がしてあげたいから、というスタンスでの声掛けが必要なのかなって思いました。
 縁あって私の文章を闘病中の方の家族が見られたら、「マッサージ習ったから、マッサージさせて」「私がしたいから、足浴をさせて」「爪もみ療法って習ったから、させて」といって欲しいと思います。
 本人が「病気になった原因を自分で作ったんだ・・・」ということに気付けば一番良いのでしょうが、気付いてくれない場合でも、免疫をあげる可能性があること、血行を良くする可能性があること、人間の自己治癒力を最大限に延ばして、できるだけのことをして欲しいと思います。